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2003年02月04日 16:38 : Dream is Over (シャトルの夢の終わり)

 シャトル事故について、言いたいこともあれこれあったのだけども。
 なんか、もううまく書けないんでとりとめもなく。

 率直なところ、なんというか・・・もの凄いショック。

 事故原因が100%究明されていない段階では、憶測と推測でしか語れないから。
 今はまだ、情報を収集・整理する段階だから、うまくこの事故に対する自分の感情を書くことができない。

 「OV-102」コロンビアのページは、事故直後にこう書き換えられていた。

 Crew and Vehicle lost during landing 2/1/03

 「NASAの迅速な対応」というものに、なんか言いようの無い気分になる。
 ネットの「即応性」というものは、いいんだか悪いんだかわかんないね。


 事故そのものへの評価はともあれ、現時点で1つ言えることは、宇宙開発だけは(それが軍事と不可分のものだということも重々承知で)停滞せず、より前へ、高みへと進んでほしい。
 いや、進まなければならない。

 それが、失われた人命に対する、生者ができる唯一の追悼ではないのか?
 ここで宇宙開発が停滞、あるいは歩みを止めてしまうことこそ、亡くなられた7人への最大の冒涜だ。

 彼らは、それが「命懸け」であることを「承知」の上で、宇宙を目指したのだから。

 飛行機の事故発生確率と比較して、「あまりに高い数値」と評したニュースを見た。
 あの大気圏再突入フェイズの中「脱出手段は無いのか?」と語った人がいた。

 その人たちはよほどの馬鹿か、安全ボケした人間なのだろう。
 宇宙へ行くことと、飛行機で東京からニューヨークへ飛ぶ事を同次元で語る事は、エベレストにハイキング気分で登山するのに等しい感覚だ。
 そして、飛行機が初めて空を飛んで今年でちょうど100年。
 しかしいまだに飛行機は事故を起こし続けている。

 たった22年、100回少しの打ち上げ回数、そして世界初にして、唯一の技術。
 その中で「2回しか」致命的な事故は無かった。
 これを「しか」ととるか、「も」ととるかは異論様々だろうけれども。

 あえて「しか」と俺は言いたい。

 今の宇宙開発は、コロンブス(奇しくも、失われたシャトルの名前は彼に由来する)が大西洋を超え、新大陸を発見した時代の遠洋航海と同じレベルなのだ。
 新大陸を発見した彼は、自分が「安全に」その探検から戻れると思っていたのか?「安全」を求めるのならば、彼は決して大西洋を超える事はなかったに違い無い。

 そこには常に「命の危険」がついてまわる。

 最初に「安全」があったわけではない。

 「安全」などというものを人類が手に入れた(という幻想を抱いた)のは、おそらく20世紀以降、第2次世界大戦からさらに後の事だ。
 まず「危険」があり、そこを命懸けで切り拓いた人々がいて。
 そうして拓かれた場所に、後から「安全」と「繁栄」が築き上げられたのだ。
 今回の事故を語る時、「安全」という名の幻想を排して物事を語らなければいけない。
 そう強く感じる。

 「宇宙」に「安全」などは無い。
 そこは「安全」という幻想を頑なに拒絶する「未開の荒野」なのだから。

 しかしながら、あえてこの事実も書き添えておく。

 実際のところ「宇宙と地上を往復できる次世代宇宙輸送システム」として構築されたスペースシャトルは、60年代に構想され、70年代に設計・製造された輸送機だということ。
 「最先端技術の結晶」との認識があるが、それは大間違いだということ。
 その基本アーキテクチャは、もう30年以上も前の「前時代的な」ものだということ。
 「再利用可能」であるが、それが「低コスト」ではないということ。

 実際、ロシアのシャトル「ブラン」は、無人打ち上げの成功までしながら、結局のところ実用化されることは無かった。

 人を打ち上げるのであれば、ロシアのソユーズが。
 貨物を打ち上げるのであればフランスのアリアンが。
 それぞれ低コストかつ高い信頼性と実績を誇っている。
 (日本の「H2」の名前もここに併記したかったが、現実にはできないのが日本人としてつくづく残念だ)

 シャトルの現実は、「夢の宇宙往復機」とはほど遠いところにある。
 現在のシャトルは「扱いが難しく」「金食い虫」の「未熟な技術」という段階でしかないのだ。

 シャトル計画そのものの、抜本的な見直しが迫られている。

 ISS(国際宇宙ステーション)建設は、シャトル抜きには行えない計画だが、逆を言えば「シャトルが無ければ成り立たない」計画だとも言える。
 宇宙ステーションの建設にシャトルが不可欠なのか?
 その答えは、かつて唯一のステーションであった「ミール」がシャトル抜きで建造/運用された事が物語っている。
 ISS、そしてそれ以降の地球外施設について、建造・運用面で見直しが必要だろう。

 それでもやはり「唯一の宇宙往復機」として存在し、稼働・運用されてきた事実は、高く評価されなければならない。
 問題は、(事故も含めて)ここまで築き上げてきたものを、いかに「次」へフィードバックするかだ。
 「シャトル」という名の「夢」はもう無い。
 「現実的」な宇宙輸送システムが、今、切実に必要とされている。


 最後に。

 栄誉あるシャトル打ち上げ1号機である「OV-102」コロンビアと、その7人の乗組員に。

 「宇宙」という、フロンティアに挑んだ勇気と情熱に。

 最大限の敬意を込めて。

 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


投稿者 : のむけん | カテゴリ : 宇宙 / 時事・News | Updated at : 2008.3.26 14:32
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