| 終戦のローレライ 上 | |
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正月に没頭して読みふけった福井晴敏・「終戦のローレライ」。
いや、まさに「没頭」というか、寝食を忘れて読みふける。
物語は、第2次世界大戦末期。 誰もが日本の敗戦をどこかで確信しつつも、その具体的な敗戦の像を思い浮かべることができずにいた頃。すでに崩壊したナチスドイツの「秘密兵器」を搭載した潜水艦「UF40」は、同盟国であった日本へと向かう途中、米国潜水艦の猛攻を受け、その秘密兵器である「ローレライ」を対馬沖へと破棄せざるをえなくなってしまう。
その「ローレライ」を回収するため、集められた日本帝国海軍の「規格外品」、脛に疵もつ、あるいは過去に拭いがたい疵を抱えたベテラン兵士達と、潜水能力をかわれ乗船することとなった若き主人公。彼らは日本海軍に接収され、新たに戦利潜水艦として「伊507」の艦名を与えられた潜水艦に搭乗し「ローレライ」回収の後、「あるべき敗戦の姿」を求め、壮絶な闘いを繰り広げる。
「海底軍艦」+「ノーチラス号」に乗り込んだネモ船長以下、ナディアやジャンが、「ジパング」の草加拓海の野望に立ち向かうべく、「沈黙の艦隊」ばりの潜水艦戦を繰り広げ、そして最後には「女王陛下のユリシーズ」ばりに散っていくという。
まぁ上に挙げた作品がわかる人にはこの説明でもうすげぇよくわかると思うけど。
わかんねぇ人にはまるっきりわかんねえな、こりゃ。
それはともあれ。
この作品は「どっかで観たことある」ようなモティーフがちりばめられているにも関わらず「ありがち」な話には決してなっていない。
むしろそうしたモティーフは、物語を読みすすめる上で、想像力を補うための、上下巻あわせて1000ページを超えるぶ厚いこの小説を読み進めるスピードを加速させるための「補助推進装置」として働いている。
その上で、徹底した筆力で緻密に描かれた戦闘描写、人物描写が濃厚な「世界」を構築していて、「どっぷりと作品に浸かる」ことができる。
そうした「装置」がなければ、このボリュームを一気に読むのはかなりツラかったと思う。
そしてなによりも、この小説は
「これ読んで燃えないやつは男やめちまえ!!」
(「萌え」じゃねぇぞ、「燃え」だ。実は「萌え」要素もこの小説にはあるんだけどさw)
と断言していいぐらい、熱い。
今や「冒険活劇」なる言葉は、日本ではマンガというメディアぐらいでしか生き残っていないと思っていたのだけれど。
これは久々の、そして王道の「冒険活劇小説」だ。
しかも、日本ではめずらしくこの小説は主人公はじめ、潜水艦の乗組員達が織りなす「群像ドラマ」となっている。
一応、主人公(とヒロイン)は設定されているが、どの登場人物達も全て等しく魅力的で(ていうかー、主人公が一番なんかどーしようもないかも)男泣きしそうな「漢(おとこ)ども」なのだ。
その群像達が、1つの「艦(ふね)」に命を吹き込み、傷つき鞭打たれながら、絶望的な死闘を繰り広げる。
これで「燃え」なきゃ嘘だろ。
登場人物1人1人も魅力的だが、本作のもう1つの「主役」である潜水艦「伊507」が、これまた燃える。
「20.3センチ連装砲」を搭載し、秘密兵器「ローレライ」システムを搭載した、全長110メートルの大型潜水艦。
つか、軽巡洋艦並の主砲を搭載した「潜水戦艦」なのだ。
んなバカな。
と思うなかれ、実際にこの「伊507」は、一昔前に流行った「架空トンデモ戦記モノ」に出てくるような荒唐無稽のシロモノではなく、実在する。
フランス海軍の潜水艦「シュルクーフ」がそれで、本作でもそのシュルクーフをドイツ海軍が接収し、ローレライシステムの実験艦「UF40」として徹底的な回収を施した、と設定されている(実際のシュルクーフは、2次大戦中にアメリカの商船と激突して沈没してる)
「架空トンデモ戦記モノ」と書いたが、誤解されないようにこの点にも触れておく。
「架空戦記物」は、ほぼ例外なく「日本がいかにして敗戦を回避するか」というテーマを持っており、そこに搭乗する「超兵器」は、言ってしまえば「もしこうだったら」という、ドラえもんの秘密道具的なご都合と願望充足に根ざしたものだ。
この小説は、確かに「SF」的設定が存在している。
秘密兵器である「ローレライ」がそれだが、「架空戦記物」と一線を画するのは、それは敗戦がほぼ確定した日本の戦局を一気に打開する類の「超兵器」ではない。
この小説のテーマは「いかにして戦争に敗れるか」という「あるべき敗戦の姿」であり。
戦争物、冒険小説でありながらも、同時に「日本にとってあの戦争はなんだったのか?」という、「敗戦」そのものを描くことに主眼がある。
だからこの物語の中では、歴史の大筋は史実そのままに、第2次世界大戦は「あの形」で日本が敗戦を迎えて終わる。
そして「この現在」へと繋がっていく。
ここが、この小説のミソだ。
「あの敗戦」のために死闘を繰り広げた男達の壮絶な姿を描くことで、「この現在」を問うてるのだ。
日本にとって「あの敗戦」とは何だったのか?
その後たどってきた「この現在」への道のりは、果たしてこれでよかったのか?
そして「この現在」において、この先はどのように歩むべきなのか?と
久しぶりに読み応えのある、そして読後に深い余韻を残す小説だった。
「傑作」とはこういう小説のことを言うのだなあ。
「終戦のローレライ」は、2005年に映画化が決定していて(そもそもこの小説は、「映画化」を前提に執筆されたそうな)。
果たしてこの小説を、どのように映画化するのか、正直なところ「不安」の方が大きい。
ウォルフガング・ペーターゼンの「Uボート」並の映画化じゃなきゃ、俺、絶対に許さねえぞ。
でも、もしその域に達するような作品となるなら、是が非でも観てみたい。
とにもかくにも、これ絶対オススメ。
映画化される前に、是非読んでほしい。
とくに、男の子必読。
マジで熱く泣けること必至。