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死にゆく妻との旅路 清水 久典 おすすめ平均 ![]() 「妻」という特別な存在 涙なしには読めませんでしたAmazonで詳しく見る ![]() |
1999年、バブル崩壊で経営していた工場が倒産、さらに連帯保証人となっていた知人が失踪、そこにさらに追徴課税で1千万の支払いが重なるという、「どん底」の状態。 そんな中で二十年以上連れ添っていた十一歳年下の妻が末期の大腸ガンで入院。 「ひとりは嫌や」と言う妻を連れ、なけなしの五十万円を手にボンゴに乗っての旅。 行く先々で車中泊をしながら職を探すも見つからず、そんな中、妻は次第に固形物を食べることも、自分で便所に行くこともできず、日々衰えて行く・・・。
最初に言っておく。
これはノンフィクションだ。
ここまで過酷で悲惨で重苦しい、こんな言い方は悪いが「できの悪いドラマみたいな」不幸とか、悲惨とか、そんな言葉も生易しいような「現実」を回想し、死にゆく妻との、長い9ヶ月に渡る逃避行を描いた手記だ。
にもかかわらず、文体はあくまで淡々としている。
決して巧みな文章でもない。
でも、だからこそ読んでいて涙が止まらない。
なにより素晴らしいのは。
この悲惨極まりないかに思える旅路は、決して「悲惨」の一言で片づけられるようなものではなかったということだ。
それまで「お母さん」と呼んでいた妻を、「名前で呼んで」と言われ、最初はわだかまりながらも、次第に名前で呼ぶ姿。
狭い社内の布団で、結婚当初以来、二十年ぶりに共に同じ布団で眠り、寝息を感じる姿。
各地の名所をまわり、喜ぶ妻の姿に過去を回想する姿。
こんな極限の中にあって、しかも長い月日の中である意味醒めきっていた関係が続いていたにもかかわらず、夫婦とはかくもこんなに強く寄り添っていられるのかと、素直に感動した。
そして泣いた。
繰り返し言うが、決してこの本は「悲惨のショーケース」のような話ではない。
確かに境遇はどん底で、そして死へと向かう絶望的な逃避行だ。
けれどもそこにあるのは、そんな中にあっても寄り添う夫婦の姿であり、そして逃避行には関わらないが、その娘の父に寄せる想い、母の娘に寄せる想いの清々しさだ。
俺ごとき、若輩の、しかも結婚に失敗したような輩がえらそうに言えることじゃあないのは承知しているけれども。
でも、だからこそ率直に「こんな夫婦がとてもうらやましい」と思った。
中で描かれる奥さんの姿は、とても可愛らしく。
ぶっちゃけた話をすれば、この作者は「ダメ亭主」なのだけれども。
そんな夫に黙ってついていき、そして死を前にしてなお「1人の女」であろうとする姿に胸を打たれた。
「こんな奥さんがほしい」と思った。
ほんとに。
夫婦は、どんな夫婦であれ等しく「死」によって別れることになる。
どちらが先に死を迎えるのかはわからないけれども。
人生最後の時間を、こうして寄り添っていけたのは、これほどの不幸と悲惨の中にあっても、やはり俺は「幸せ」なことだったんじゃないか?って思う。
いや、もちろんそれは第3者の無責任な「見方」でしかないのは、重々承知しているのだけれども。
「そうするより他に術がなかった」
そのようにして書かれた文章には、技巧を超えた力がある。
そこには理屈を抜きに、胸を直に打つ力がある。
この本はまさにそういった本だ。
死にゆく妻との旅路
この本の最後のほうにこう書かれています
妻「治らないね」
夫「そんなことないさ」
「ひとみ、一度でええから一緒に病院へ行こう。悪いところを診てもらおう。大丈夫や、きっときっと治るから。ひとみはまだ若いんやから」
妻「もうええから」
「もう最後になってもいいし」
夫「やぱり病院へ行こうや、ひとみ、な」
このような会話があった10日後、ひとみさんは息を引き取った。