最近、コンピュータやネットとの関係性が、以前とは随分変わってきた感じがする。
以前は「コンピュータをオペレートすること」そのものが目的であり、「ネットに接続する」ことが目的であった。
これは、今の時代でもPCやネットに初めて触れた人なら多少なりとも体験することだろうと思う。
ただ俺がはじめて「PC」を買った時代、はじめて「ネット(当時は「パソコン通信」なわけだが)」に触れた時代というのは、ハードウェア性能にしても、ネットワークのインフラや利用規模においても、いずれも今日とは比較にならないぐらい低く、浅かった。
だから、まぁ「PCする」「ネットする」と、単なる道具と手段でしかないものが目的化せざるをえなかったという事情もある。
やがて、PCの性能も格段に向上し、ネットワーク環境が爆発的に普及し、常時高速接続が当たり前になった頃には、それは「ある事をするため」という「特定用途/欲求」に向けたものに変わる。
かいつまんで言うと「小説を書くため」だったり、「どこそこのチャットでチャット仲間と会話を愉しむ」ためであったり。
とにかく、そこには「明確な目的」が必ず存在していた。
そういう関係性を「特定目的の時代」と位置づけるのなら、その最後は昨年まで熱中していた「FFXI」のPC版だったように思う。
PlayStation2でもできることを、わざわざ自作PCまで作ってやっていたのだから。我ながら、あの熱意は凄いものがあったと思う。
#正直、今はまだアカウントも残ってるし、復帰の意志も無いわけじゃないのだけど。
いつヴァナ・ディールに戻れるのか、皆目見当がつかない。
そして最近はどうなのかというと「無目的な時代」だと言ってもいいかもしれない。
そこそこの性能のハードウェアもあり、ギガビットLANに対応したネットワーク環境もある(まぁ、LANケーブルが対応してるだけで、I/Fもハブも100baseのままなんだけど)。無線LAN環境だって、随分と安くなったので、もう価格的に導入に躊躇する理由は無い(単純に、無線環境にする必然性が無いだけのハナシ。ノートPCでも買えば、多分入れる)。
ネットワークだって、引越でADSLには戻ったけど、動画バンバン観るわけじゃなければ、実効速度3.5MbpsのADSL環境で十分事足りてる(大家が乗り気で、マンションタイプのBフレッツ導入のハナシがあるらしいが、どこまで進んでるのか知らない)。
ホームネットワークだって、構築するための下地はこの2年ぐらいで整えてあるから。あとはそのための機器を購入すれば、かなり「IT化された」っていう、まるで一昔前の近未来SFに出てくる「未来の家」みたいなことはできるようになる。
そういう「容れモノ」側の問題が、あとは単純に「まぁ、今、ちょっとお金ないし」って程度のレベルにしか過ぎなくなってきたのに伴って、何故か、何故だか部屋でのPC利用時間も、ネットへのアクセス時間も目に見えて低下しているし。
「これをやろう」「あれがやりたい」という目的意識も、だんだんと薄くなっていっている。
単純に「俺も歳とったのかな?」とも思ったりしたけど。
どうも、そうじゃないみたいだ。(そのせいも、無いとは言い切れないけどさ・・・哀しき三十路だな)
どうしてなんだろう?と考えた結果は、ようするに「あまりに当たり前になりすぎちゃった」って事なんだと思う。
当たり前すぎて、わざわざそこに情熱を傾ける気にもならなくなってきたんだ。
ぶっちゃけていえば「当たり前すぎてつまらなくなってきた」ってこと。
ほら、あれだ。
わざわざ「よし、TV観るぞ!!」って情熱燃やしてのめりこむようにしてTV観たりしないでしょ?
なんとなく「あー、TVでも」ってつけて、つけたけど単に流してるだけで、「あ、そういや今日はあの番組やってたな」でチャンネル変える。その程度じゃない?
まぁ、そうじゃない人もいるのは知ってるけど。アニオタさんとか。でも、多分大多数はこんな感じでTV観てると思う。
実際、俺、アニメとか映画とかは大好きだけど、TVで観るよか「後日まどめてDVDで観りゃいいや」って人だし。
んでもって、皮肉なことに、家の中がいわゆる「IT化」されていけばいくほど、そういうガジェットやインフラに対しての熱意はどんどんと醒めていく。
で。
長々と書いててなにが言いたいかっつーと。ようするに「ああ、これがいわゆるユビキタス化というものか」と、先ほどボーっとしながら思い至ったわけです。
パソコンメーカーも、OSメーカーも、デジタル家電メーカーも、目指すところは「ユーザーを、ウチの商品の前に一分一秒でも多くの時間拘束していたい」ってとこなんだと思う。MSもIntelも「PCは電源つきっぱなし、24時間稼働が当たり前」にしたいみたいだしね(の、わりにはバカみたいな発熱・消費電力と。それを力業でねじ伏せるため動作音がやかましいと、アメリカン的な頭の悪さ丸出しだけどさ)。
だからこそ「ユビキタス」ってキーワードを持ち出して「いつでも、どこでもうちの商品使ってや」ってことをやっていってるんだろうけど。
その結果は、むしろ裏腹に「当たり前すぎてて、どーでもいいもの」になっていくんじゃないかと。
だって、自分の家の水道管がどこのメーカー製で、何リットル/秒の給水性能があって、蛇口のメーカーはどこで、他社と比較した場合、スペック的にどのような差があるのか、なんてことを気にする人はいないでしょ?
極端な例えだろうけど、それと同じことが今、「ユビキタス」化していくコンピュータとネットワークにおこりはじめてるのかもしんない。
それが良いことなのか、悪いことなのかはよくわかんないけど。
でも多分、そういう部分はメーカーサイドにとっては確実に「リスク」でもあるわけで。
そのリスクを想定しないで、60年代風の楽観的な科学万能みたいな感じで「ユビキタス」って連呼しちゃって大丈夫なのかな?とか思った。
先日のIBMの中国メーカーへのPC事業譲渡とかもそうだけど、「悪の帝国Microsoft」も、対する「Linuxコミュニティ」なんてとこも、瓦解するのは案外そういう部分からなのかも?と思った。。
ようするにそういう「運動」さえ、単なる「水道配管製造会社の営業合戦」程度のレベルになっちゃえば、熱意も何もあったもんじゃなくなるし。
まぁ、この予想が当たるかどうかは、5年後ぐらいにはっきりするんじゃないかね?