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常々「林檎ちゃん、ちょー可愛い!!彼女にしてぇーー!!」と絶叫してはばからない俺だが。
ある日、ある人にこんなことを言われた
「やっぱ『本能』のナース姿がいいんでしょ?」
馬鹿野郎!!
おめぇはなんにもわかってねぇーよ。
そもそも俺が「椎名林檎、マジすげぇ!!」と思ったのは、「無罪モラトリアム」を職場の後輩にテープに落としてもらい聴いた時からであり、その時は金が無くってしばらくCDを買えず、初めてそのルックスを見たのは随分と後の事だったし。
それになー、「本能」出る前から「ちょー彼女にしてぇ〜!!」とかゆってたし、大体にして俺はウチの母親が看護婦で、母親が当直ん時は若い看護婦さんに預けられ、更衣室で看護婦さんたちが着替えしてる横で、ボーッとTV観てて、看護婦寮で一緒に風呂とか入ってたんでナース姿なんかにゃ燃えんのだ!!(ナース服フェチの野郎どもめ、羨ましいだろ。ワッハッハ)
むしろ、俺はブレザーでショートカットの女子高生がいっちゃん好……あれ、なんのハナシだっけ?
とにかく、「本能」のビデオクリップのあのインパクトで、「コスプレ」歌手というか、色モノ的な批判も出ている椎名林檎だけれども、いっとくけれど彼女を単に外面というか、外見のインパクトで売れてるだけでしょとか思ってるヤツは、マジでなんにもわかっちゃいない。
まぁ、俺も「ビジュアル系」って、もうあの外見だけで「マイナス30点」になっちゃう人だから、しょーがないけどさ。
とまぁ、なんでこんな事をつらつら書き殴ってるかといえば、このアルバム「勝訴ストリップ」を聴いて俺は悟ったんだ。
俺がこんなにも椎名林檎にハマる理由。
椎名林檎の歌は、あまりにも生々しく、赤裸々だ。
彼女の歌には「女」としての椎名林檎が、ありのまんまに出てくる。よく「女であることを武器にする」という言葉があるが、彼女の歌には全くそれがない。ただありのまんまに「女」。
そしてそれが、男のエゴを強烈に刺激する。そしてあまりに強烈な生々しさは、聴き手に強烈な幻想を抱かせてしまう。
それは、普段自分のコトは語りがらない女の子が、胸のウチに抱えていたものを自分にだけ吐き出して見せてくれた時の、あの感覚に極めて似ているかもしれない。
男はそれに弱いのだ。「こいつ、俺に"本当の自分"を見せてくれた」的陶酔。
ヤバい、これは相当にヤバい。
だってそれは、確かに相手の言ってるコトは「本心」だろうとも、かなり危険な「幻想」なんだもの。言ってしまえば「オマエの勝手な勘違い」になっちゃうんだよ。「たしかにアレ言ったけど、だからってワタシそういうつもりじゃないのよ。勘違いしないでよ、バカ!!」的悲惨な状況を招く危険性「大」だ。
そして椎名林檎の凄まじいのは、そういうコトを「作戦」としてやってるわけじゃなく、おそらくは本能的にやってのけてしまってることなんだと思う。
それこそが、俺が椎名林檎を「もの凄い才能だ」と思う由縁であり、同時に「ちょー!彼女にしてぇー!!」とか叫ばせてしまうところなんだと。
これだけの事ができてしまうアーティスというのは、実はそんなにいない。稀である。
比い稀な言語感覚と、その「言葉」をより深化させるためには、ほとんど「手段を選ばない」ほどの音作りの多彩さ。
それを持っているのが椎名林檎だと思う。
当然、全く「計算」が無いわけではないと思う。「作戦」みたいなもののあるのだろうけれど、それをほとんど感じさせないところが「天才的」な才能だと思う。けれど、それは同時にかなり危険なことだと思う。
あまりに生々しく、近しさを感じさせてしまうこと。そして絶対にそこには「触れそうで触ることなどはできない」という事のギャップ。
生々しさが強烈で鮮烈であればあるほど、そのギャップの埋め難さからくる「もどかしさ」は危険を増す。
そしてその事は、当の椎名林檎自身が、おそらく痛烈に感じているのではないだろうか?
各方面のインタヴューで椎名林檎は「3枚目のアルバムで『椎名林檎』としての音楽活動は休止する」と明言してるし、どうやらそれはもう「決定事項」のようだ。
彼女の強烈な才能に惚れている俺にとって、それはあまりに「痛い」宣告だけれども。しかし「力があり過ぎるがゆえに距離感を危険なまでに見失ってしまう」彼女の歌を聴いていると、それはある意味で不可避的な選択であるような気がしてならない。
まぁいいや。なんかこれじゃ「椎名林檎論」で、このアルバムについて何も書いてないな。
っていうか、書くべきことはただ1つ。
とにかくこいつはスゲぇアルバムだから、四の五の言わずに聴け。
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